「格差×戦争vol.2 9条とわたしの距離」

4月4日、nakano fにて「格差×戦争 vol.2 9条とわたしの距離」を開催しました。約50人の方に参加いただきました!ありがとうございました。

まず、ゲストの田村美和子さん、古澤克大さん、DJ mix Noiseさんにそれぞれお話を伺いました(予定していたゲストの1人、植田那美さんは急用でお越しいただけなかったのでメッセージをいただきました)。

イベントの内容をかいつまんで紹介します。

田村さんは、大阪に生まれ育ち、専門学校を卒業後、アルバイトをしながら海外に行こうと思っていた。ピースボートhttp://www.peaceboat.org/)に乗船して世界を回った後、PBのスタッフに。プログラムを作るために訪れた南米のベネズエラで「憲法」について考えさせられる。どこにいっても憲法が話題にのぼり、憲法の小冊子をタクシードライバーにもらったり、「あなたの国の憲法は?」と聞かれたり…。「なんでこの人たちは、こんなに憲法のこと話してくるんだろ?と思った」という。
それまで、日本の憲法について考えたことがなかった田村さんは、帰国後、憲法について勉強したり、ピースボートの船上でワークショップを開いたりなど、積極的に活動してきた。
「どうして9条に興味を?」という質問に、「9条のことは色んな場所で見聞きしていて元々アンテナがあったのと、親しい友人が9条についてすごく熱く語っているのを聞いて」と、応えてくださいました。
憲法を身近に感じられる場所を作るのが重要だな、って思った」から、ピースボートの船上でワークショップをした
9条との距離について、「近くなったらいいな、とは思うけど、実際は遠いですよね。ベネズエラみたいに、普通に憲法の話ができるようになったらいいな」と。また、9条については、「9条は所詮決まりごと。その決まりを破れないような、世界中で人間関係を作っていきたい」と、田村さんの経験に裏打ちされた言葉で、「攻撃したくなくなるような存在に」と締めくくりました。


 古澤さんは、革命的非モテ同盟http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/)の書記長として知る人ぞ知る、という方。今回は非モテの話ではなく、古澤さんは元自衛官ということでお話を伺った。
 高校を卒業後、大学に受からなかったので自衛隊に入隊。4年間ののち除隊し、夜間の大学に入学。現在は卒業し、都内で働いている。もともとミリオタという古澤さん。自覚したのは中学生の頃だそう。古澤さんは「消極的改憲派」と自らを説明する。
 「9条そのもの、っていうよりも、“暴力”についてどう考えるか、というのが僕と9条との接点かな」と、自分の持つ暴力をどのようにコントロールしていくか、ということを、略歴を交えながら話した。
 古澤さんは高校生のとき、『戦争論』という、ドイツの軍人であるクラウゼヴィッツの著書を読み、多いに共感した。「自分の意志を相手に強要させるために、相手の力を奪う」ということに納得した。
 「暴力を管理することなんですよね」と、自衛隊でやっていたことを簡単に説明。「軍隊も警察も暴力を持っている。その暴力をコントールするのが重要」と語る。
 9条との距離については、高校生の頃から考えていた。当時から改憲派で、現在よりエキセントリックだったという。「平和にこしたことないんですよ」と前置きし、「民主主義の名の下にコントールできる軍隊を持っていたほうがマシ」というのが、古澤さんの主張だ。


 DJ mix Noiseさんは、「ビンボーで高校に行けなかった、1日1000円の食費で家族7人が食べる」家庭で育ち、高校は中退した。中学3年生のとき、クラスの全員から無視されるいじめに遭い、その頃が一番9条を世界に広げたい、と思った時期だったという。「9条って“ロマン”。そのころが“9条萌え”がピークだった時期」
 その後フリーターとして働きながら、小林よしのりや宮台信司の本などを読んでいた。一緒に働いていた同僚たちも、厳しい家庭環境で育ってきた人が多かった。そのころから「9条」はスコンと抜けていった。
 「額面通り受け取れない」と、9条は“ロマン”としては理解できるが、いまいちリアリティがないという。「思考する時間がないと“9条ってすばらしいよね”と思えないだろう。例えば、昔の同僚たちにもそんなこと言えない」と自身のリアリティについて話した。
「9条でメシが食えるの?」と問いかけ、「それが僕と9条との距離」という。「生存権(25条)を保障したあとに、9条をどうするかという選択の自由があれば、9条の護憲は「アリ」だ」と締めくくった。

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 その後、ゲストのお三方に「それぞれ、こんな風に違いますが、こういった差異がうまれる背景にはなにがあると思いますか?」と問いかけた。
 古澤さんは、「DJ mix Noiseさんは、ぶっちゃけ生存権の方が大事だっておっしゃいました。納得できます。9条よりも、生存権が重要だよね、っていう空気があると思う」とコメント。
 田村さんは「DJ mix Noiseさんの経済状況のこと聞いて、まったく違う環境で育ってきたことを知って、生存権のこと言われたら、そうだなぁと思う。私は、戦争が起こりうるような場所に友だちがいるから、戦争になったら、人権もあったもんじゃないじゃないですか。だから、嫌だなぁって。そこに対してはすごいリアリティがある。リアリティのどこに、自分が生きてきたプロセスがかかわるのか、っていう違いがあるなぁ」と話した。
 DJ mix Noiseさんは「“9条いいよね”っていう言葉の裏に暴力性すら感じる。平和でさえあればいいのか? でも個人のリアリティから始めたい。分かり合えないのは当然、でも今それをやり始めているんだと思う」と、話し、「生活に苦しんでいる人が9条のイベントに来ますか?」と投げかけた。

 3人のゲストトークはこれで終了し、残りの時間は6つのグループに分かれて自由にディスカッションする時間を持った。それぞれのグループ報告は以下↓

1班は、ゲストの田村さんを交えて総勢9名の参加。
今回のテーマは私と憲法の距離ということで、身近な生活から憲法の話をしていこうということで、まずはそれぞれ今まで憲法について考えたことがあったかという質問から始めました。
ところが、憲法についてすでに何か話したいことのある人は、9条の話をするなら日米安保の話をしなければ不十分だとか、外国の憲法との対比について考えたいとか、もっと高いレベルの話をしようとするのに対し、憲法について一度も考えたことがないという人は、そもそも何を話したらいいのかわからないといった具合で、両者をともに満足させる議論の展開をするのはなかなか難しいと思いました。

2班は古澤さんを交えてのグループ。メンバーに、今回のイベントに来たきっかけやゲストの話を聞いての感想を、自己紹介がてら話してもらった。
DJ mix Noiseさんの話しを受けて「私は9条でメシを食ってるんですけど(笑)」というNGOスタッフの女性、小さい頃から広島や長崎に行く機会のあった女性、イギリス籍で日本憲法には直接関係はないと言う女性、友だちに誘われたという大学院生の男性、“護憲派”というロリータファッションの女性、興味があったから来たという男性の8人。
今回のイベントの「9条とわたしの距離」というテーマの立て方に対して異議をとなえる女性は、「憲法変わったらどうなるか分かってる?感情論じゃなくて理論的にイベントをする必要がある」という意見だった。
最終的に結論を出そうとするものではなかったこともあり、時間の制約もあったので、それぞれが思い思いに話すということは難しかった。
限られた時間の中で、顔を付き合わせて話すことの良さはあったと思う。(竹内)

DJ mix Noiseを擁する3班は、まず、彼のインパクトあるメイントークの内容をめぐって、議論が集中した。「生活の体験から護憲運動に不信感を持つというけれど、戦争に直面している今やはり護っていかないと」「生存権を要求する話を、9条の議論と混同してはダメ」「9条に限らず、憲法は国民が使っていかないと意味がない」「でも憲法は国民が国家にたいして使うものという知識を一部の人しか持てなくされてる現状のほうが問題」など。
政治談義みたいに白熱してきたので流れを変えて後半、そんな意見をもつようになった経緯を語ってもらった。「外国人の友人に日本の仕組みを説明しようとして」「被爆体験をもつ両親の影響で」「苦しい生活から政治に関心をもった」「会社勤めなんてしてると帰って寝るだけ。考える時間なんてない」。まとめというわけではないけれど、劇的な政治的「目覚め」みたいなものはなく、こうしたことでコミュニケーションする場をつくりたい、そのために職業とか住む場所とか自分たちでつくる話し合いもしたい、というふうに話は発展していった。(田野)

4班のメンバーもバックグラウンドはそれぞれ。職業をとってみてもイラストレーター、書店員、高校教員、NGO職員、印刷・デザイン会社勤務と多様でした。幼いころから9条が身近にあったがゆえにあまり深く考えなかった人、紛争地域に住む親戚から聞いた戦争の話と9条が結びつかない、など9条との距離感もさまざま。特に印象的だったのは、ある個人がリアルに感じられるもの、を基盤に話を始めるといくつものリアルが並立するけれど、それらはすれ違ったままで終わってしまうのではないか、やはりなにか普遍的なものを基盤としないと話が前に進まないんじゃないか、という意見でした。でも、そんな普遍的なものってあるんだろうか、どうやってそれを見つければいいんだろうか、、、といったところで時間が終わってしまいました。(川口)

他の班と同じく様々な人が集まった5班では、共通点として前半で聞いたゲストの憲法話への感想から話し始めました。共通していたのは憲法を語ることの意義と難しさです。
個々人の価値観や人生の話しでは「色んな考えの人がいますね」となりやすいが、憲法は近代国家や社会情勢といった誰もに共通する普遍的なテーマに関係したものであり、両者をつなげるよりある程度憲法や社会情勢だけで語ったり学んだ方がいいのではという意見。
でも、こうしてつなげて語るから難しい話が身近になるんだという意見。どちらも説得力があります。そこから今自分たちが気になる日本の出来事を出し合いました。「9条が遠い」という感覚は9条が生きてる証拠なんだという意見。今の改憲は企業の要請が強いから、国家だけでなく企業にも民主主義を適
用させるべきという意見。映画や音楽がこうしたテーマを表現するにはどうすればいいんだろうという悩み。久々にしゃべり場のような場に出れて新鮮だったという感想。こうして幅広いテーマを問い直していける所に、街中で行うイベントの意義を感じました。(Ryota1981)

6班は5人でのディスカッションであったが、初めに各人の9条への距離について語ってもらった。
沖縄で育った人、海外での「日本人」と言う事での歓迎を受けた人、実際に暴力を受けた事がある人、社会福祉を学んでいて、軍事費ではない所に税金を使うことを考える人、社会での人殺しは殺人・戦争での人殺しは英雄という矛盾に共感を持つ人と、比較的「9条」に対して好意的な意見であった。
次に、ゲストの話を受けて、生活のために自衛隊に入るということについてどう思うか聞いた所、やはり生きるためにというのであれば、ダメだとは言い切れないのではないか、その辺の経済的な状況をどうにかしないといけないのではないか、と言う意見であった。(真実)